明治39年(1906)に新築された神楽坂新校舎
初代夫人(前列右から2人目)と婦人会・青年会の面々(村上スミ)
前列左 布施教会 村上定次郎初代教会長
前列中央 難波親教会3代教会長
前列左 村上寛子4代教会長
中学校で教鞭をふるっていた明治15年(1882)生まれの村上定次郎は、重い肺結核を患ったが、松岡小三郎伏見教会長の導きで大阪の難波教会に入所し、近藤藤守教会長のもとで修行にはいった。明治43年、28歳のことである。
初代村上定次郎に関して、
学園名「進修」の由来にも続く
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